ホワイト・アルバム

youtube(みのミュージック)で「ザ・ビートルズ」(通称:ホワイト・アルバム)全曲完全解説を見て以来
久しぶりに訪れたビートルズブーム
ホワイト・アルバムは大昔 初めて聞いたビートルズアルバム
2枚組30曲 バラエティ豊かな楽曲群に圧倒されたのだ
のちにメンバー間の確執、ドラック漬け、4人がバラバラの状態で製作されたことを知るのだが
アコギの「ブラックバード」ヘビーな「へルター・スケルター」主導権を握るポールが躍動していることがわかる
そしてヨーコの影響受けたジョンの「レボリューション9」 当時この前衛曲がなぜ収録されたのかわからなかった
次曲は一転オーケストラバックに穏やかな子守歌「グッドナイト」で一気に緊張を和らげる
これぞビートルズなのだ! 今ごろ改めて感動している ◇音楽

デビッド・クロスビー旅立つ

自伝的映画『David Crosby: Remember My Name』(2019年)によると
人間味溢れるキャラクターなのに、仲間とうまくやっていけない不器用なデビッドだが
ステファンスティルスとグラハムナッシュとのコンビネーションは最高だった
多くの60~70年代フォークロックが忘れ去られようとする今
古き良きウエストコースサウンドとして片づけてほしくない
激しく情熱的であっても穏やかなグルーブ感が心地よい
人を包み込むメロディとハーモニーは一筋縄ではないのだ
波乱万丈の人生、晩年吹っ切れた如くソロ活動が充実していて本当に良かった ◇音楽

ジョニ・ミッチェルのサプライズ

今夏ジョニ・ミッチェルが公の場に現れたのには驚いた
長く病気療養中で、年齢的に引退かと思っていたから
リハビリしながら自宅に仲間を招いて
演奏を繰り返していたとは、
そしてニューポートフォークフェスティバルにサプライズ登場
サポートを受けながらも歌う姿に会場は驚きと万雷の拍手 
まだまだ歌ってほしい特別な女性シンガーなのだ
才能溢れるのは音楽だけでなくアートワークも抜群のセンス
Don Juan’s Reckless Daughter「ドンファンのじゃじゃ馬娘」(1977)
はジャズに接近した実験的アルバム
ジョニ以外の二人が見事なオルター・エゴ
(本人が変装した別人格) ◇音楽

ニール・ヤングの矜持

ニール・ヤングのニュースが飛び込んできた
新型コロナウイルスの誤情報を拡散させたとしたSpotifyに自身の楽曲を削除するよう求めたのだ
背景にアートとビジネスの隔たりがあるのは明らか
今の時代 音楽配信 サブスクはとても便利なサービスなのだが、、
創造的価値を軽視してはいけないし音楽と関係のない人たちばかりが儲かるシステムはどうか
いつまでも熱くて勇敢なヤングにアーティストとしての矜持を感じる ◇音楽

デビッド・クロスビーの新譜

1941年生まれのデビッド・クロスビー
ドキュメンタリー映画『David Crosby: Remember My Name』(2019)では
自らの波乱万丈な人生を赤裸々に語っていた
ここ10年の精力的なソロ活動は過去を取り戻そうとするかのごとくの気迫
風貌は爺さんだが、歌声は昔と変わらない驚くほどの瑞々しさ
ジョニ・ミッチェルの「For Free」(1970)をカバーそしてタイトルに冠しているのも驚き
歌い続けることにこの人にしかできない生き様を感じる ◇音楽

スライの星条旗

4年前も同じタイトルで投稿した
この4年間で拡大したと言われる格差や分断の混乱は50年前のニクソン政権でも同様
スライ&ザファミリー・ストーンのThere’s a Riot Goin’ On(邦題は暴動:1971年)は
泥沼化するベトナム戦争と人権運動への疲弊した世相を低くて重い独特のファンクで表現した
アートワークの黒地に白い太陽が施された星条旗は
「星は探さないといけないけど、太陽はいつもこちらを向いている」
というドラッグ漬けのスライ・ストーンの皮肉なメッセージ
さて、2020年アメリカの行く末はいかに

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった

映画の日「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を鑑賞した
驚いたことに客席(KBCシネマ2)は7割くらい埋まっていた
リーダーのロビーロバートソンの語りから始まる 
ザ・バンドは60~70年代を代表するロックグループ
ボブ・ディランのバックバンドとして活躍したことから自らをバンドと名乗ったとされている
その音楽性はアメリカのルーツミュージックに基づくが、誰の真似でもない唯一無二の郷愁や土着性があった
今まで知らなかったグループの誕生から飛躍、メンバーの苦悩を当時の映像で知ることができ興味深い
最後のライブ ラストワルツの大団円は感動的、多くのミュージシャンにリスペクトされていたことがわかる
エリック・クラプトン、ブルーススプリングスティーン、タジ・マハールなど豪華な証言者も見どころ
メンバー3人は既に亡くなっていて解散の経緯やメンバー間の確執の真偽はわからないが、
記録として残してくれたことに価値がある

レジェンド

ボブマーリー&ウエラーズのベスト盤
長年聞き続けても飽きないアルバムの一枚
緩くて優しい歌声に癒される一方小国ジャマイカから訴えようとした強いメッセージ
1981年36歳の若さで亡くなって来年没40年になる
レゲエスピリットを世界に広めた功績、影響は偉大すぎます

ボヘミアン・ラプソディ

オールドファンとして特別な思いで鑑賞したが、ここまでヒットするとは予想しなかった
1985年5月15日大阪城ホールの来日公演が深く記憶に残っている(ワールドツアー最終日、フレディ存命時最後の日本公演)
グループの解散が囁かれる中 レコードセールスは全盛期の勢いがなく 信じられないことにアリーナは空席が目立った
少し前にソロアルバム「Mr. bad guy」を発表したフレディだけが嬉々としてテンションが高い?印象を受けた
ステージを所狭しと駆け回り「I want to break free」の女装(笑)日英の国旗を身にまといサービス精神旺盛
喉の調子はベストではなっかったがお馴染みのコール&レスポンス、全力投球で興奮のライブであったことは間違いない
それから2か月後 7月13日ライブエイドの神がかり的 完璧なパフォーマンスで世界中を魅了しクイーンはバンドとして復活を遂げる
物語はフレディの病気を示唆しつつこのライブエイドまでが描かれている
真実は誰にもわからないが、バレエやオペラを好み本能的に人を喜ばす 猫好きで派手好きで気前のいいフレディ
カリスマ性や常識に囚われない特異な部分だけでなく家族、メンバー、友人を大切にする温かみのある人間として描かれていて
とても心地よかった テンジントンの豪邸に伊万里焼や着物が飾られていたことも見逃していない
そして強烈な才能と個性を受け入れ、自らも存在感を示すインテリジェンスなブライアン、ロジャー、ジョンには敬意を表したい
フレディ!あなたは永遠のエンターティナーとして私たちの心の中に生き続けているのだ 
写真は1974年2枚目のアルバム「QueenⅡ」見開きジャケット まだ何も成し遂げていない野心に満ちていた頃

エジプトステーション

ポール・マッカートニーの新譜を聴いた
老練なんて表現では片づけられない
過去の軌跡をなぞったものではなく瑞々しさが溢れている
世界一のメロディーメーカーであることは周知のとおりだが
今もって作品を作り続けるエネルギーが天才たる所以なのだろう