スライの星条旗

4年前も同じタイトルで投稿した
この4年間で拡大したと言われる格差や分断の混乱は50年前のニクソン政権でも同様
スライ&ザファミリー・ストーンのThere’s a Riot Goin’ On(邦題は暴動:1971年)は
泥沼化するベトナム戦争と人権運動への疲弊した世相を低くて重い独特のファンクで表現した
アートワークの黒地に白い太陽が施された星条旗は
「星は探さないといけないけど、太陽はいつもこちらを向いている」
というドラッグ漬けのスライ・ストーンの皮肉なメッセージ
さて、2020年アメリカの行く末はいかに

八窓軒茶室

瀧先生の展覧会のあと洛北の曼殊院門跡を訪れた
江戸時代初期の代表的な書院建築と枯山水が見どころだが
目的は小書院の奥にある茶室である
草庵式の茶室には八つの窓がある
八窓は仏教の八相を表すとされ
躙り口右手の窓は虹窓と呼ばれ光のアスペクトで季節、時刻、晴曇により様々な色彩が現れる
その日は小雨降る曇天で、障子紙がぼんやりと虹色に見えたり見えなかったりだったが、
暗い静寂の空間に八窓の鈍い光が織りなす幽玄の小宇宙を体験できた

瀧光夫の展覧会を訪ねて

京都工芸繊維大学 美術工芸資料館にて開催中の
「建築家 瀧光夫の仕事 緑と建築の対話を求めて」を訪ねた
瀧光夫は私が設計を志すきっかけとなった人で、直接ではないが建築の師と思っている
活動は決して派手さはなかったが、建築家として理想的な活躍をされたのではないだろうか
緑と建築を軸とした仕事で実績を積み重ね ご自身が目の届く範囲で地道に良作をつくり続けた
その建築世界と環境デザイン思想は明快で私の琴線に触れたのは間違いない
自ら描いたであろう多くの原図、スケッチが展示されていて時間を忘れて鑑賞した
特に自宅とアトリエの建築経緯、1970年大阪万博の仕事、ご子息とのビデオ対談など興味深い
写真は無料で配布されていた図録表紙(愛知県緑化センター)

ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった

映画の日「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」を鑑賞した
驚いたことに客席(KBCシネマ2)は7割くらい埋まっていた
リーダーのロビーロバートソンの語りから始まる 
ザ・バンドは60~70年代を代表するロックグループ
ボブ・ディランのバックバンドとして活躍したことから自らをバンドと名乗ったとされている
その音楽性はアメリカのルーツミュージックに基づくが、誰の真似でもない唯一無二の郷愁や土着性があった
今まで知らなかったグループの誕生から飛躍、メンバーの苦悩を当時の映像で知ることができ興味深い
最後のライブ ラストワルツの大団円は感動的、多くのミュージシャンにリスペクトされていたことがわかる
エリック・クラプトン、ブルーススプリングスティーン、タジ・マハールなど豪華な証言者も見どころ
メンバー3人は既に亡くなっていて解散の経緯やメンバー間の確執の真偽はわからないが、
記録として残してくれたことに価値がある

建築家 瀧光夫の仕事

コロナの影響で中断していた展覧会が9/27より再開しています。
建築家 瀧睦夫の仕事 -緑と建築の対話を求めて-
京都工芸繊維大学美術工芸資料館 ~2020年12月12日
福岡では福岡市植物園温室・展望休憩舎、以前の警固公園展望台
会期中に訪れて多くの精緻なスケッチを拝見したいと思います。

オンライン授業

数年前から大学で非常勤講師として建築設計を担当している
今年は全てオンライン授業である
設計課題に取り組む学生と図面や模型を見ながら対面で行っていたことが
PCの画面越しに、何とかITを駆使して成立している
そもそも建築のプレゼンは 自分のアイデアをいかにうまく人に伝えるかということ
それは緊張感の中 場の雰囲気や相手の反応を見ながら臨機応変に対応することが大切だと思う 
今 学生にとってその経験が出来ないことが残念
活気あるキャンパスで対面授業の復活を願っている

修学院離宮・浴龍池

初めて修学院離宮を訪れた
上中下離宮に分かれ水田に囲まれた広大さは圧巻
汗をかいて登りつめた上離宮に佇む浴龍池は谷川を堰き止めて造った人工池
空と緑の鏡面反射は息を呑むほど美しい(写真ではこの感動は伝わらない)
京の街並み、遠く愛宕山まで望むこの景観を300年以上前に人の手で造られたことは驚くばかりです

桂離宮・月波楼

最も古書院に近い茶亭・月波楼
古書院の月見台がフォーマルなら
こちらはカジュアルな使い方をしたのでしょうか
天井が高く竹を編んだ造りは一見農家のようです
土間の御膳所でつくられた料理を食べながら観月を楽しむ
どこの茶屋からも借景の庭園が美しい

桂離宮・松琴亭

20数年ぶりに桂離宮に来た
コロナ禍で見学予約が取りやすく助かった
写真は松琴亭の書院 やはり濃紺と白の大きな市松模様の襖はインパクトがあります
池の水位が若干低く庭園の魅力がイマイチだったが昭和の大改修以降のメンテナンスは良好で心が洗われた